世界の(高校)教育

マレーシアのインター校

 マレーシアの教育制度や教育理念はまだ調べ切れておりません。ある程度のものが分かり次第アップデートしたいと思います。
 マレーシアにはクアラルンプール近郊だけでも200近くのインターナショナル高校があるといいます。英語が準公用語であることから、多くの非英語圏から英語を学びにマレーシアを訪れます。準公用語であることから、アメリカやイギリス、カナダのようないわゆるネイティブのイントネーションではありませんし、アジアというかマレーシア特有のなまりもあることは否めないでしょう。しかし、それらを求めればさらに100万単位の金額が必要となります。マレーシアでも欧米の先生や生徒をなるべく集めているようなインター校は年数百万円の授業料がかかるところもあるといいます。
 それはさておき、それらインター校には結構地元のマレー系、中華系の生徒も来ます。息子の行くKingsleyでは8割が地元の生徒たちだそうです。その他に、日本・中国・韓国・フィリピン・ミャンマー・アフリカ系と多くの非英語圏の生徒たちが集まってます。
 マレーシアの子供たちは、マレー語の他に準公用語の英語とマンダリンというマレーシアで使われる中国語を話す人たちも多いです。ですから、彼らは地元の大学はもちろん、世界中の英語圏の大学、中国、台湾などの大学にも進学できるのです。優秀なものは、MITやイギリス、中国の有名大学にいき、世界中の最前線で学んだ生徒たちが、マレーシアに戻ってきて国を支えると考えると、本当に将来が明るい国に思えます。日本のように閉塞しておらず、どんどん積極的に国外にいける下地があるのはとても大きいでしょう。日本はあっという間に、色々な意味で大きな差をつけられてしまう気がします。そんな可能性に満ちた国、発展途上にある国、それがマレーシアという国です。

フィンランドの教育

 フィンランドは幸福度世界ランキングが1位であることが多く、常に上位にいる国です。さらに教育水準も世界トップとして知られています。一体どんな教育がなされているのでしょうか。
 フィンランドの教育の前提には、「社会構成主義」というものがあるそうです。それはどういうことかというとフィンランドにおける学習とは、実践的・社会的な目的のために、知識や情報を収集し、それを自分なりに再構築・編成して、社会に発信することであり、主体的な営みでありながらも他人との相互的な関わりに立脚している、ということらしい。
 また、フィンランドの子供に対する考え方として、子供の利益を第一とすること、それは公平であること、子供が守られ、ケアされ、発展していく権利である。さらに、参加する権利は、子供が意見を表明する権利と、それが聞き届けられる権利である。ヘルシンキの基礎学校は、これらの原則を考慮にいれ、すべての学校でこれらを遵守する。
 フィンランドでは子供の平等ということを徹底することにおもきを置いており、「性別、年齢、民族的出身、国籍、宗教、信条、思想、性的試行、病気、障害によって異なる扱いを受けてはならない」としており、「教育及び、使用される教材は、平等の原則を支えるものであること」、「異なる扱い、つまり差別はいかなる理由によっても禁じられ、教育の無償と平等」が述べられております。
 会社や大人の組織でも、平等が徹底され不公平がない、ということはそれだけでも社員の心の負担は減るというものですが、大人がこれほどまでに子供の平等を掲げるのですから、きっとそんな教育を受けてきた子供たちが大人になった社会もきっと大人な社会なのだろうな、と思ったりします。
 理念がやはり、すばらしくしっかり掲げてそれを実践しようとしている国だからこそというのはわかりました。では具体的にさらに見てみましょう。フィンランドの教員の質が高いといわれるのは、フィンランドの教員になるには、修士号が必要だそうです。つまりみな、大学院の修士課程を修了しているということになります。教員には毎年の研修が義務付けられ、常に教育観や知識のアップデートが求められるそうです。また教員の社会的地位が高いのは、中央政府の管理を削減し、教員の裁量権を大幅に増やしたこともあるそうで、国が教員の能力を保障することによって保護者・地域からの信頼につながっているそうです。 

 フィンランドの教育は、子供に心理的負担をかけないように成績評価を個人内で徹底して行うそうです。前期と比較してどのような点がどれだけできるようになったのか、を個人内でフィードバックします。他社との比較はプレッシャーになるということで、統一テストはないそうです。
 問題はなぜを追求して、自己分析し、アウトプットする機会が多いそうです。また、科目の垣根を越えて横断的に勉強できるようにカリキュラムが設定されているそうです。例えば地理を勉強しながら、算数も同時に勉強になるような問題になっていたり、理科や社会を英語で勉強してみたり、統計や論文を扱うなど実践につなげやすいものが多いそうです。
 他に日本と違う点といえば、知識の正解を教えて覚えさせる日本の教育と違って、フィンランドでは、教師は正解を教えるのではなく、生徒が主体となって多くの情報に接しながら、生徒が知識を獲得するためにあらゆるアプローチをする過程を教師がサポートしながら、生徒は知識を蓄えていくというスタイルだそうです。
 また授業時間も日本に比べて格段に短く、日本の小学生のようにランドセルにあらゆる教科の教科書をつめて、さらにちいさな袋を何個か片からさげて登下校するようなこともなく、カバンに筆記用具をいれてもっていけば、教材はすべて学校にあるそうです。授業時間が短いのに世界のトップレベルの教育水準を保っているのは、上記のように教育理念や内容が日本のそれより充実しているのもありますが、いわゆる学校の行事が少なく、入学式もなければ卒業式もなく、学芸会や音楽会もなければ運動会もないそうです。それらは地域のサークル等で希望者が自己的に行っており、学校というものは極力そういったものを省略し、簡素化、合理化して、教師、生徒ともにストレスを減らしているものと思われます。日本に育った私たちの常識が世界では必ずしも常識ではなく、少なくともそれなりの成果を出している国は、それなりの理念や内容、国のバックアップがあり、翻って見るに日本の教育制度は他の杭から見ても参考にしたいと思える内容なのかと考えると、寂しい気持ちになってしまいます。

オランダの教育

 あまり有名ではないかもしれませんが、オランダの教育制度は世界一であるともいわれることがあるそうです。オランダでは、憲法の中で「教育の3つの自由」が保障されているそうです。その3つとは、
 ① 設立の自由:200人の子供を集められれば、自分たちで学校を作っても良い。
 ② 理念の自由:宗教色を出しても、他のことで特徴を出しても良い。
 ③ 教育方法の自由:教育内容、教材の裁量権が自由。
 これら3つの自由を前提に、私立も国立も同程度の国の援助が受けられるが、国は一切口を出さないそうです。学区もなく、自分の行きたい学校を自由に選べる自由もあるそうです。義務教育は5歳から16歳までで、その間の授業料は一切無料で、保護者はPTA会費の負担と教材負担のみだそうです。また所得に関係なく児童手当が支給されるそうです。宗教や主義による多様な学校もかなりの数存在し、異なる年齢を混合クラスにしたり、戸外授業を重んじる、対話を重視した学習形式、一定期間一つの科目に集中するなど、いろんな教育主義を取り入れた学校があるそうです。
 他にも特徴的なのが、同学年の子供が一斉に授業をうけるという概念がないそうです。子供の能力や習熟度はそれぞれ年齢で決まるものではないので、自分で自分の習熟度に合わせて学ぶ科目や時間割を決めることができるそうです。チャイムがなかったり、宿題やテストがない学校も多いなど、子供が嫌がることは排除して、伸び伸びと自主性を伸ばしていこうという国の見守る感じが見て取れますね。

  上の図は、オランダの教育制度を表したものですが、12歳までの初等教育を受けたあとのルートは複雑に見えコースの種類も豊富ですが、全てがつながっております。どういうことかというと、要は子供が成長しながらやりたいことを模索しながら、自分に合う方向へ導きやすいシステムになっているということであります。制度が複雑になっているということは、より細かく繊細に子供の進路を手助けしていけるということです。こっちがあわなそうだったから、こっちへ変更する、やってみたら意外と興味がうすれたからあっちへいく、といったことが子供の自主性に委ねられているとともに、その変化に対して教育制度が対応できるシステムがあります。そんな制度の中で、子供たちが伸び伸びと自主的に、大人になっていく、そんな素晴らしい教育システムだそうです。ついでながら、オランダには高校入試もないそうです。

日本の教育

 日本の教育は、一言でいえば偏差値重視の教育方針です。知識を多く詰め込んだ者がいわゆる偏差値の高い学校に行ける、という制度です。ちょっと偏っていえば暗記力の高い人が偏差値の高い学校にいけるということです。少なくとも自分たちの世代はそう育ってきて、いまだにその名残というか根本は変わってないように思います。社会や生きていく上で本当に大切なこと、幸せに生きるためには何が必要なのか、そんなことは何ひとつ学校で教わる機会はなく、子育てのような大事なことなど正解のない事象に直面して初めてそのことを自分たちで体験しながら学ぶように思います。そしてその偏差値重視の受験制度を支えるかのように個別の塾が全国に立ち並びます。子供たちは、早い子では小学校に入るころからいわゆるお受験のプレッシャーにさらされ、中学受験でも失敗してしまった子は学校にこれなくなったり、子供に過度の心的な負担をかけ続けています。高校受験でそこそこ成功したとしても、すぐに大学受験があり競争競争の毎日で、子供たちはへとへとになってしまうように思えます。
 日本は島国の単一民族であったことからか、人と人を区別するのに一番単純な方法をとりました。勉強ができるかどうかです。ところが人はそんな単純なことで区別できるわけではないし、そんな単純な方法で区別しても社会で生きていくということはそんなことではありません。日本の教育制度の方向性を決めているのはおそらく教育省に働くいわゆる官僚達であろうと思うのですが、その中に教育というものを真剣に考えている人はどれくらいいるのでしょうか?ずっと勉強ばかりしてきて、キャリア1種に合格し、それが間違っていなかったと思う人たちは、それが自分の子供がそうならなかったとき、ようやく日本の教育制度の欠陥に気づくのでしょうか。少なくとも私たちの頃からと教育制度の何がかわったのか、なにか良くなった部分があるのか、私にはわかりません。
 フィンランドには学閥というものがないそうです。それはそうです、誰でも大体望めば大学に無料で進学できて、教育内容もかわらないのであれば自分の住む地域の大学にいくことになるからです。フィンランドはちなみに、大学を卒業してから社会人になって働く時間も日本のそれと比べて圧倒的に短いです。16時には帰宅して、個々の趣味に時間を割き、家族との時間を優先できます。企業が残業をさせないように国がその生活ができるようそれを後押ししています。教育は大学まで無料だし、医療費も生涯無料なのです。幸福度が世界一なのも納得の国なのです。
 日本で子育てしようと思ったら、過度の競争主義社会のなかで、いじめの問題も常に心配しなければなりません。少子化の傾向に歯止めがかからないのは、そんな日本の社会で子育てなんてできるわけがない、という人が多いからに他なりません。
 世界には子供の教育というものにしっかり理念をもち、それに携わる人たちは定期的にブラッシュアップされ、制度として子供の可能性、希望を最大限サポートできるようにシステム構築をしている国があります。
 日本もそのように、世界中の良い教育制度を採り入れ、親の金銭的心配をなくし、子供も伸び伸びと自主的に将来やりたい仕事を見つけられるような最高の教育制度の構築を考え、制度化してほしいと願わずにはいられません。